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追悼 音楽

追悼・藤村保夫/新宿ピットイン音響部長/日本のジャズミュージシャンを育てた音響オペレータ

 1970年代後半、私がピットインに出入りするようになった頃、四つ年上の藤村さんは既にスタッフとして働いていた。日々ミュージシャンの音を生で感じ、そのままの音の再現に徹してきた。足繁くステージとコントロールルームを往復し、ミュージシャンがどういう音を出しているか自分の耳で確かめた。膝をつき楽器やアンプに耳を近づけ、ミュージシャン一人一人の特徴を掴み要望を聞いた。何度でも全員が納得いくまで。中には大きな音の人もいれば、合奏が難しいくらいに小さい音の楽器もあり、また同じ楽器でもサウンドは十人十色。そこを絶妙なバランス感覚をもってステージ内の音量音色を作り上げた。「モニタの音量はどうですか?」という優しい問いかけの中に、<あなた達のここを聴いているよ><このくらいが調度良いよ>という教えがあったことに気がついたのはそんなに久しいことではない。このことがミュージシャンにどれだけの安心を与えてくれただろうか。先ずはこうして”ミュージシャンが演奏しやすい環境作り”を行い、バンドの音が落ち着いてきた頃、会場の音作りに移る。できあがればステージから一番遠いカウンター辺りまで、透明で音痩せしていないサウンドが会場を支配していることが分かる。

そのサウンドは美しい。

 ミュージシャンが持ち込むマイク、ピックアップ、アンプやその真空管やスピーカーまで細部に興味を示した。その知識は豊富で、それぞれの機器の特徴や他の物との比較も話してくれた。カタログで知っていたり受け売りで語るのではない、それを使うとどうなるのかを実際に聴いてきた。その記憶の蓄積。藤村さんに「それ良いですよね。」と言ってもらった時は安心した。

 ピットインは地下一階、ビルの構造上地下にはエレベータがない。楽器の搬入出はミュージシャンには正直言って億劫なところ。ピットインのスタッフは目を利かせ総出で運んでくれる。藤村さんはオペレーションで耳を研ぎ澄ませ疲れもピークにあろう中、ミュージシャンが搬出にかかろうとした瞬間、先陣を切って楽器を手に搬出を始める。あ、大丈夫です……と言う頃には階段を上がり、若いスタッフが後に続く。ミュージシャンへのリスペクトであり、音楽や店に対する愛情であり、<次も期待してるよ!>というエールであった。

 2014年3月9日、私はピットインで、峰厚介、大口純一郎、藤井信雄、トオイダイスケ四氏と共にライブを終えメンバーで小一時間の打ち上げを行っていた。たまに藤村さんがお休みの日に当たることもあり、今日はその日なのか……、あぁ聴いて欲しかったなぁ、と思っていた。

その翌朝の訃報だった。

 伊勢丹近くの店舗時代、その向かいの地下店舗時代、そして現在の新宿2丁目のピットインと三店舗に渡り、内外数え切れないミュージシャンやバンドのサウンドをコントロールしてきた藤村さん。ミュージシャンの我が儘を全て受け入れ、演奏しやすい環境に整え、客席に最高の状態でサウンドを提供した。聴衆にもミュージシャンにも愛されるピットインのサウンドを作り上げたのは藤村さんに他ならない。

もう聴くことも聴いてもらうこともできない。ジャズ界は宝を失った。 合掌