福島・帰還困難区域を走る
渋谷さんと盛岡へ
もう40年もの縁となる盛岡。ここの重鎮の言葉はいつも重く的確に刺さる。なぜなら、その博雅と共に、ずっとライブを聴き続けての発言だからだ。お蔭で年に一二度、演奏家として区切りとなる日を迎える。この日、渋谷毅さんと小生との演奏を聞き終えた氏は(未だ曲名を知らない時点で)、「3曲目にやったあの曲。言葉にできない、絵にも描けない、芝居にもできない、音楽でしかあり得ない男と女の……」と譬えた。これには恐れ入った。演奏したのは”愛の語らい(Falando de amor/A.C.Jobim)”だった。
郡山でソロ&トーク
郡山のお店は、ジャズ、ボサノバ、ギターファンだけではなく、ロック、ポップス、そしてジャンル分けできないような新しい音楽まで、幅広いお客さんが集まる。二年ぶり二度目の訪店ということもあって、趣向を変え、一曲ずつまつわる話をした。ワークショップなどの経験から喋ることは苦手ではないが、ステージではいつも、真反対の演奏者側にスイッチが切られている。両方交互に行うことは私にとっては一人二役となる。質問を戴くと、独演会特有の孤独感も薄らぎそれは話し易い。忘れていた事を思い出したり、また、自分の演奏を日常会話のように説明するということも楽しい。エネルギーは倍必要だが演奏は楽になる。お客さんとの距離が縮まるからだと思う。
帰還困難区域を走る
盛岡、郡山の方々にエネルギーを貰った翌朝、2017年8月28日、私は一人で郡山駅前のレンタカー屋に向かった。15年5月に車で回った東京電力福島第一原子力発電所周辺地域のその後を、自分の目で確かめたく、自分で運転できるうちにと再訪を決めていた。磐越自動車道から常磐自動車道に入り、いわき中央インターで降り、国道6号線を北上する。いわき市四倉から双葉郡広野町までは海岸沿いを走る。”道の駅ならは”は未だ双葉警察署の臨時庁舎として利用されている。
富岡町に入ると3.11のまま手つかずの建物も多く、街道の反対側に視線を向ければ、見渡す限り放射性物質汚染廃棄物いわゆる除染袋が置かれている。6号線は南北に走るこの地域の動脈、あらゆる用途にこの道を使うしかないのだが、駅、町、住宅に入るための横道は全て封鎖されている。ここは高放射線量の帰還困難区域だ。スチール製で蛇腹式のフェンスの前には、立ち入りを管理する普通のユニフォーム姿の警備員が二人態勢で立っている、彼等は大丈夫なのか。
フクイチから2km弱の長者原交差点を抜け、浪江町のコンビニに着いた。行程の半分を終え一服。浪江町役場の前にあるここは、フクイチから一番近いのだろうか。原発、復興関係者の方々にとってのオアシスの空気が漂う。おでんの品数が相当多い。
ここでUターン、6号線を南下し、再度フクイチの横を通り、今度は高速を通らず、国道288号線でほぼ真西にある郡山に帰る予定を組んだが、行けども封鎖が続きなかなか右折できず西に向かえない。ここではもはやカーナビに頼れない。しばらく下ってようやく右折車線にいる車を見つけ着いていった。標識を頼りに288号線を目指す。帰還困難区域では、住民と二輪車に行き交うことは無い。人の手から離れた草木、野山はどこかなにかが違う。
288号線に入ったところで、元住民の物だろうか放置車両が二台ほどあった。車に轢かれた小動物を貪る退かない数羽のカラスに遭遇した。郡山の人から、動物の飛び出し事故で、こちらも廃車になることも少なくないと注意を受けた。この地域の様子を描いたドキュメンタリー映画※からも、生態系が変わり危険が高まったことは知らされていたが、実際に走るとそれは想像以上の緊張感だ。前方を遠く見渡せる時はセンターラインを跨いで走った。田村市に入った頃か、おばあさんとすれ違ってやっと緊張の糸が解れだした。しばらくして児童三人を見かけたときは、体の中に何かが流れ出すような感じすらした。
総走行距離218km、実は道を間違えたのも合わせると240は越えたか。目に見えない汚染はされてしまったが、福島の自然の美しさ、それを財産とする人々の力が走らせてくれた。往路、”道の駅よつくら港”での昼食、オバちゃん達が作っていた塩ラーメンがなんとも優しく旨かった。
※福島 生き物の記録シリーズ/岩崎雅典監督