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ミュージシャン 追悼 音楽

追悼・ギタリスト大出元信/不世出の天才リズム・ギタリスト

 

 大出と私は30数年前に出会った。楽器店のスタジオに毎日のように出入りし、お互いプロを目指し、厳しくも楽しい日々を送っていた。大出は時を待たずしてドラマー・古澤良治郎さんに出会った。それも演奏の場ではなく、町でだ。勘の鋭い古澤さんは、一音も聴かずも、すぐに大出を自分のバンドに引き入れた。当時、古澤さんの音楽はスイングだけではなく、レゲエやカリプソなどのリズムを幅広く取り入れ、オリジナル曲も多く、ワン・ホーン・カルテットにギターが必要になってきたころでもあった。古澤バンドに入ってあまり時間が経たぬ内に、大出は本田竹広pさん(故人)率いる「ネイティブ・サン」に入った。ここで数多くのアルバムを残し、世界中を駆けめぐった。スケジュールがバッティングすることが避けられなくなった古澤さんは、次のギターを探した。その時サンババンドで弾いている小僧ギター(いわゆるギター小僧ではない)に声をかけた。それが私だった。大出は「廣木なら知ってますよ。」とか言ったかもしれない。ここから違うバンドで、ほぼ同時にプロとしてスタートすることになった。

 大出の特徴は周知の通り、そのリズムセンスにある。通常、リズム・ギターというのは、主導権を持つ“ドラムスとベースの上に乗っかって、間隙を縫って、彩りを添えて…”と、加味、トッピングいう役回りになることが多いようだが、彼はまったく違うタイプだった。リズム、バンドの先頭に立ち、誰よりも早く気がつき、その演奏で次を示唆した。リズム突端にいながらも、周囲や背後にも注意が行き届き、バンドを牽引した。この、コンマ何秒かの違いが、その音楽を決定的なものとした。そしてその馬力ははかりしれなく、高性能レーダーが付いた蒸気機関車のようだ。更に、なにより、誰にもマネのできない、あの“リズムの感じ方”があった。人間、ものを「こう感じなさい!」と言われてもできるものじゃ無い。彼は一つの共通のタイム(テンポ)の中を、“誰よりも広く、大きく、鋭く感じる事ができる才能”を持っていた。重量感があって軽快、深く明るい、速くてゆったり、鋭く優しい。こう考えると、不器用そうに見えて、けっこう器用な男だったのかもしれないとも思う。また、奥ゆかしく頑固、表に出ようとしないのに一番聴こえてくる、屈強で艶っぽい、素敵な男だった。

♪盛岡・伴天連で良治郎バンド打ち上げ、古澤さん、大出、私 L to R 

 大出はアドリブ・ソロを弾きたがらない、ギタリストとしては珍しい存在だった。バンドの中でのスタンスに独自の美学を持っていた。バンドを自分のリズムでグルーブさせることに集中した。そんな中、一日に一回は渋々ながらもソロをとった。これが、やたらと線の太い、少ない音使いの饒舌なソロだった。

 プロになって数年経った頃、我々の共通の親分である古澤さんの「良治郎バンド」が結成され、正式に大出と私のツイン・ギターでの演奏が始まった。川端民生b大口純一郎p佐山雅弘p、そこに峰厚介tsリー・オスカーharm各氏も加わって、全国津々浦々を回った。古澤さんの作品によるそのオリジナリティと、バンドのリズムの深さ鋭さは、今聴いても鳥肌が立つ。私は上手(カミテ・客席から観て右)、大出は下手(シモテ)にいつも立った。まったく発想の違う、役割も違うタイプの2ギターは、このころ貴重な体験をしていた。

 私はアマチュア時代に大出に出会えたことに感謝している。それは、一つのスタイルにおいて彼が既にトップだったからだ。ファンク・ミュージックなど、好きな音楽が近かったあのころだったが、この世界は大出にまかせ、私は自然と自らの方向に歩き出すことができた。また彼は、最初っから音楽が全身表現だった。私など、そんなことは少なくとも最初の20年はできなかった。彼は、思考、動作、センスが三拍子揃って、強力な説得力、存在感を当時から現していた。やはり大出は天才だったと思う。元来、ジャズ系のコンボは、一楽器一人で構成されることが多い。ギターも一本で良い。しかし、個人的にはギター嫌いの私も、大出にはいつもステージの反対側に居て欲しかった。居てくれることで、安心し、自由になれた。サウンドはまったく重複しなかった。こんなことはもう二度と起こらないだろう。

 大出と夫人とは、二人が結婚する前からの付き合いだ。1970年代のあのころ、渋谷で呑み始め、いつも飽きたらず、高円寺に移動して深夜まで語り尽くした。私は帰れる距離にもかかわらず、お世話になり三人で雑魚寝したこともあった。友達になりたかったからだ。夫人は、そのころから最期まで大出の音楽を支えた。一番の理解者であったことはまぎれもない事実だ。大出は二人の子供を残した。礼儀正しい長男、優しく同じ顔の次男。ワイルドかつ上品、絶対に人を傷つけない男のあのリズムは、もう体感できない。54歳での他界はあまりにも早すぎた。 合掌

[2008年7月11日23時19分・都内病院にて家族に看取られ永眠]